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佐賀地方裁判所 平成4年(ワ)136号 判決 1995年11月24日

原告

向井英樹

右訴訟代理人弁護士

辻公雄

被告

嬉野町

右代表者町長

大渡鐡郎

被告

佐賀県

右代表者知事

井本勇

右両名訴訟代理人弁護士

安永宏

主文

一  被告嬉野町は、原告に対し、平成四年一二月一日から、別紙物件目録記載一の土地の明渡済みまで年六三九円の割合による、同目録記載二の土地の明渡済みまで年二四七円の割合による各金員を支払え。

二  被告佐賀県は、原告に対し、平成四年一二月一日から同目録記載三の土地の明渡済みまで年四六九円の割合による金員を支払え。

三  原告の嬉野町に対する別紙物件目録記載二の土地の明渡請求にかかる訴えを却下する。

四  原告のその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の負担とし、その余は被告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告らは、原告に対し、それぞれ金五〇〇万円及びこれに対する各訴状送達の日から支払済みまで年五分の割合による各金員を支払え。

二  被告嬉野町は、原告に対し、別紙物件目録記載一の土地及び同目録記載二の土地をそれぞれ明け渡し、平成四年一二月一日から、同目録記載一の土地の明渡済みまで月六万九〇〇〇円の、同目録記載二の土地の明渡済みまで月三万一〇〇〇円の各割合による金員を支払え。

三  被告佐賀県は、原告に対し、同目録記載三の土地上のダム設備を収去して同土地を明け渡し、平成四年一二月一日から右土地の明渡済みまで月一〇万円の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、佐賀県嬉野町両岩地区周辺住民の要請に基づいて、被告嬉野町が行った林道開設工事及び被告佐賀県が行った治山工事(ダム建設工事)について、その林道敷地及びダム敷地の所有者である原告が、右各工事は被告らが原告の承諾を得ずして勝手に原告所有地上になしたもので違法であるとして被告らに対してそれぞれ不法行為に基づく損害賠償及びその遅延損害金を求めるとともに、右各敷地所有権に基づき各土地の明渡(被告佐賀県に対してはダム設備の収去も求める。)とその土地使用相当損害金の支払をそれぞれ求めた事案である。

二  争いのない事実及び括弧内の証拠により認められる事実

1  原告は、別紙物件目録記載一(以下「林道敷地A」という。)、同目録記載二(以下「林道敷地B」という。)及び同目録記載三(以下「ダム敷地」という。)の各土地(以下「これらを総称して「本件各土地」ということがある。)を所有している(争いがない。)。

2  被告嬉野町は、佐賀県藤津郡嬉野町両岩地区周辺住民の要望により同町東吉田から林道敷地A・Bを通って同町上吉田を結ぶ両岩地区林道工事(以下「本件林道工事」という。)を実施し、平成元年九月ころから平成二年三月ころまで(平成元年度工事)に、林道敷地B上の樹木(杉六二本、ひのき一本)を伐採し、また、同年九月ころから平成三年三月ころまで(平成二年度工事)に、林道敷地A上の樹木(杉五二本、ひのき二本)を伐採し、かつそのころ右各土地に造成工事を行い、林道用の工作物を施した(乙五、一六、一九、二六・二八の各1、2、二七の1ないし3及び二〇・二一の各1ないし5)。

3  被告嬉野町はそのころから現在に至るまで林道敷地A、B上に右林道用の工作物を所有し右各敷地を占有している(争いがない。)。

4  被告佐賀県は、同町両岩地区の要望により、同地区治山工事(以下「本件治山工事」という。)を実施し、平成二年九月ころから平成三年三月ころまで(平成二年度工事)に、ダム敷地上の樹木(杉八〇本、ひのき三本)を伐採し、かつそのころ右土地に造成工事を行い、ダム設備を建設した。なお、そのころ、被告佐賀県から右治山工事を請け負った中野建設はダム敷地周辺上の原告所有の杉一五本を伐採した(乙一四、一七、一八、三〇、二二・二三の各1、2及び証人江口幸一郎。なお、原告は右伐採樹木は一〇〇本以上におよぶと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。)。

5  被告佐賀県はそのころから現在に至るまでダム敷地上に右ダム設備を所有し右敷地を占有している(争いがない。)。

三  争点

1  被告らは、本件各土地上に本件林道を開設すること及び本件ダムを建設することについて、原告の承諾ないし追認を得たか。

(一) 原告の主張

原告は、被告らに対して、本件各土地の使用について承諾ないし追認したことはない。

(二) 被告らの主張

被告らは原告の承諾ないし追認を得ており、本件各土地について貸借権又は地上権が成立する。

2  被告ら地方自治体は、地元の要請に基づいて行われる公共事業(いわゆる申請事業)を行う場合においては、地権者である原告の承諾を得ているか確認する義務を免れるか。

(一) 被告らの主張

地方自治体が地元の申請により公共事業を行ういわゆる「申請事業」の場合、地方自治体が用地提供者である地権者の承諾を得たか確認する義務はない。

すなわち、申請事業は、用地を提供してでもという地元の強い要請に基づくものであるため、当該用地を提供される地方自治体側においては、特段にその用地についての所有権取得やその他の用益権取得の特段の手続はしない。いわば、一種の受益者負担である。かかることから、当該用地の地権者の承諾及び用地の具体的提供に関する合意形成過程に地方自治体側が関与することはなく、その取りまとめは地元に任されており、地元の合意形成過程上の法律行為の瑕疵は地元側に帰属する。したがって、地方自治体側には、地権者の承諾あるいは地権者の代理人についてその代理権の存否や真偽について調査する義務はない。

よって、申請事業である本件各工事においても、被告らに本件各土地についての原告の使用許諾を得ているか調査する義務はない。

(二) 原告の主張

国や自治体が、どのような目的であるにせよ個人の土地をその承諾もなく使用する権限はなく、また、承諾の有無につき確認すべき義務を免れるものではない。したがって、本件においても、被告らは原告の承諾を得たか確認すべき注意義務があり、これを怠ったものである。

3  損害額

(一) 原告の主張

本件各工事による原告の損害額は、山林を原状に復元するために要する費用相当額である。山林を原状に復するためには、他から樹木を購入し、これを現場近くまで運搬し、さらにこれを樹木の植えられていた現場までヘリコプターで運搬し、これを植え込むという過程を経ることになるが、その全過程の費用は樹木一本当たり三二九万四〇〇〇円を下らない。そして、伐採された樹木は被告両名についてそれぞれ一〇〇本前後であるから、その損害は億単位となる。本件では、その損害額の一部である五〇〇万円を被告らに各請求する。

(二) 被告らの主張

原告の主張は、交通事故における不可逆的な人身損害について「元の身体にして戻せ」というに似た不可能を強いるものである。代替性のないものならともかく全損被害の場合について金銭評価しうるものについては、その財産的価値を損害として評価するのが損害賠償の法的理念であって、元の状態に復旧せよというのは損害賠償の法的理念とは馴染まないものである。

4  信義則違反ないし権利濫用の有無(本件各土地の明渡請求に対して)

(一) 被告らの主張

(1) 信義則違反

原告は自己の土地上に本件林道工事や治山工事が行われていることを認識した後も、被告らに対して、特段、右各工事の中止を求めることなく、右各工事による原告の損害についての補償交渉に応じており、その結果、既に右各工事は完成してしまったという事実に照らすと、この期に及んで原告が原状復旧を求めることは信義則に反する。

(2) 権利濫用

次の点を考慮すると、原告が本件各土地について原状復旧を求めることは権利の濫用として許されない。

① 本件林道工事の必要性・有用性

本件林道が完成する以前は、曲がりくねった兎道程度の幅五〇センチメートルないし六〇センチメートルくらいの道しかなく、材木の搬出は人力・牛馬に依存し、周辺林業は収益性の乏しい状況下にあったが、本件林道の開通によって山林の保育・管理が容易となり、周辺林業の振興が図られた。また、本件林道は近隣市町との交流、観光開発、周辺住民の利便にも大きく寄与している。

② 本件治山工事の必要性・有用性

本件ダムが設置された猪児川は昔からわずかの雨でもたちまち増水して土砂流が発生する地元両岩区の永年の悩みであった暴れ川であったが、本件ダムの設置により、平和な川と化し、地元の被害は回避されるようになり、地元住民はその恩恵に浴している。

③ 本件各工事のために、林道工事関係で約一億円、ダム工事関係で約三九〇〇万円の費用が投ぜられており、今これを撤去しなければならないということになると、その費用は膨大なものとなり、しかも、それは単なる破壊のための費用でしかなく、原状復旧は新たな不便と昔に戻った災害をもたらすところの、全く有害無価値な浪費を招く結果となる。

(二) 原告の主張

被告らは、本件各工事を行うに当たって、本件各土地使用について原告の承諾を得ておらず、また、原告の承諾を確認する義務を怠った過失があり、さらに、交渉の過程において、林道工事が既に原告所有地上になされていたことを秘匿しており、このような者が信義則違反や権利濫用による救済を受けることは許されない。

また、本件ダムが築かれた水路は水幅一メートルにも満たない、いわば溝のようなところであり、あえてダムを築く必要がなかったものであり、林道については、これが敷設された両岩地区には旧道があり、容易に復活使用が可能である。

5  土地使用相当損害金額

(一) 原告の主張

世間一般の土地使用料からみて、林道敷地全体及びダム敷地について、それぞれ月額一〇万円とするのが相当である。そして、林道敷地については、面積の割合に応じて、林道敷地Aについては月額六万九〇〇〇円、林道敷地Bについては月額三万一〇〇〇円とみるのが相当である。

また、右の損害額が認められないとしても、本件各土地の評価額の五パーセントを年間の損害額とするのが相当である。

(二) 被告らの主張

右原告の主張は争う。

第三  争点に対する判断

一  争点1について

1  前記第二、二の事実及び証拠(乙一ないし一五、二四、証人市丸徳喜、同江口幸一郎、同向井寛、原告本人及び弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。

(一) 本件林道工事の経過

(1) 昭和四七年ころ、被告嬉野町は、両岩地区周辺住民から本件林道工事を行って欲しい旨要望を受けた。そして、同年一〇月ころ、右林道工事の用地提供者である地権者ないし同地区付近住民が右工事を承諾する旨押印した両岩区林道同意書(乙二)が被告嬉野町に提出され、右工事が実施されることになった。

(2) しかし、原告は地権者であるにもかかわらず、右同意書には原告の記名押印はなく、原告は右同意書の作成に関与したことはなかった。

(3) 右同意書に原告の記名押印がなかったのは、右同意書を取りまとめた当時の両岩地区の区長ないし役員が、右工事に伴う用地提供についての原告の了承の獲得方を原告の姉の夫である今村學に依頼し、同人に、原告の代わりに右同意書に今村名義で記名押捺してもらうという便宜な方法を取ったからである。

(4) そして、右工事は昭和四九年から昭和五一年まで実施され、都合により一時中断されたが、昭和六二年から再開された。工事再開に当たって、同年中に、本件林道工事の全体計画についての建設説明会が両岩公民館で行われた。

平成元年八月八日及び九月一八日に、林道の中心線測量や現地踏査が実施され、林道が敷設される地権者それぞれから、測量について承諾を得る手続や右工事に伴う地権者の土地の潰れ地面積及び伐採される木の範囲を確認しその工事承諾を得る手続がなされた。

(5) しかし、右建設説明会や現地踏査に当たっては、原告は出席せず、向井寛(以下、寛という。)が出席し、同人が原告所有地の提供について承諾を与えていた。

(6) そして、前記第二、二2に記載のとおり、同年九月ころから平成二年三月ころまでに平成元年度工事は実施され、林道敷地B上の樹木は伐採され右土地上に林道工事が施された。

(7) 次に、平成二年九月二六日、平成二年度工事の現地踏査が実施されたが、やはり原告は現地踏査に出席せず、寛が出席し、同人が原告所有地の提供について承諾を与えていた。

(8) そして、前記第二、二2に記載のとおり、同年九月ころから平成三年三月ころまでに平成二年度工事は実施され、林道敷地A上の樹木は伐採され右土地上に林道工事が施された。

(二) 治山工事の経過

(1) 平成元年六月ころ、被告佐賀県は、両岩地区区長から平成二年度の工事に本件治山工事を行って欲しい旨要望を受けた。平成元年七月ころ、右治山工事の用地提供者である地権者ないし同地区付近住民が右工事を要望し、右工事について承諾する旨押印した治山事業施行要望書(乙一)が被告嬉野町に提出された。そして、同年八月ころ、同要望書は被告佐賀県の鹿島農林事務所に提出され、右治山工事は林野庁の審査を受けて実施されることになった。

(2) しかし、右要望書には原告の記名押印があるが、印は寛が押捺したもので、原告は右要望書の作成に関与したことはなかった。

(3) 寛は、右要望書を取りまとめた両岩地区区長から、原告の山林を一番よく知る者として原告の代わりに右要望書に押印することを依頼されたものである。

(4) 工事を始めるに当たって、平成二年六月二七日、両岩公民館において工事説明会が開催され、同年九月一七日には現地踏査が実施され、ダム設備が敷設される地権者それぞれから潰れ地面積及び伐採される木の範囲を確認しその工事承諾を得る手続がなされた。

(5) しかし、右工事説明会や現地踏査に当たっては、原告は出席せず、寛が出席し、右工事のための原告所有地の提供について承諾を与えていた。

(6) そして、前記第二、二4に記載のとおり、同年九月ころから平成三年三月ころまでに右治山工事は実施され、ダム敷地上の樹木は伐採され右土地は造成され、ダム設備が建設された。

(7) なお、乙第二四号証(土地損失補償要領)によれば、治山事業をするに当たっては、工事着工前に地権者から「土地使用承諾書」を得ることが要求され、その後、「補償承諾書」を得て「土地補償契約書」を取り交わすことが要求されているが、本件においては、被告佐賀県は原告との間でこれら書類を取り交わしたことはなかった。

(三) 原告と被告らの接触状況

(1) 平成二年九月二一日ころ、寛は、本件ダム工事を請け負った中野建設から支障木(ダム工事現場まで大型機械を運ぶ際に支障となるため、伐採された原告所有地上の木)伐採の対価として五万円を受領した。そこで、平成二年度工事が着手されたころの同年一〇月四日朝、寛は、原告に対して「ダム工事現場に機械を入れるための道を作るために原告所有地上の支障木を伐採した。その補償金五万円を預かっているがどうすればよいか。」という趣旨の電話をかけた。これに対し、原告は、右支障木の伐採について了承するとともに、「姉の今村佳子のところに預金通帳も預けているから、その預金に入れておいて欲しい。」旨伝えて、さらに「寛さん、もうお任せすっけん何でも頼むばい。」と返答した。

なお、証人向井寛は、右のやり取りで、ダム設備や林道設備が原告所有地上に建設されるということを原告に説明した旨証言するが、原告は本人尋問において、そのような事実はない旨供述しており、また、当時の両岩地区区長の市丸徳喜(以下「市丸」という。)証言によれば、原告は、右同日以後も、林道が既に原告所有地上に開設されていることを知らなかったことを前提とした発言をしていたこと(同人の証人尋問調書一九三項ないし一九七項)、及び本件ダムがダム敷地上にあることを原告が知ったのは平成三年三月八日に現場を見に行ったときが初めてであったこと(同調書二〇二ないし二〇四項)が窺われ、これらの供述及び証言に照らすと右向井寛の証言をそのまま採用することはできない。

(2) 原告は、平成二年一〇月四日の右電話の後、支障木の補償金が安すぎるのではないかと不審に思い(原告は、当時、寛から伐採した木は三〇本で、補償金は一本当たり一〇〇〇円ほどであると聞かされた記憶である。)、意を翻し、同日夜、市丸に電話をして、原告の意向を無視してダム工事の際に原告の木を伐採したことについて抗議をした。

(3) 同月五日朝、原告は、被告嬉野町農林課林務係長江口幸一郎(以下「江口」という。)に電話をして、右支障木伐採について抗議をするとともに、伐採した立木について元に戻すよう要求した。そこで、江口は、切った木を元に戻すのは無理だから、その伐採地に植栽をして、ある程度大きくなるまでは被告嬉野町の方で面倒を見る旨原告に告げたところ、原告は、同被告側の負担すべき保育費(植栽した樹木が一定の大きさに育つまでの世話料)の明細を送ってほしいと言った。

なお、その際、江口は、本件ダムが原告所有地上に及ぶこと、本件林道工事が原告所有地に及んでいることについては原告に説明していない。

(4) 同月一一日、被告嬉野町は保育費の見積書(乙三)を原告に送付した。

(5) 原告は、同月二八日、これに対して、異議申立書(乙四)を江口に送付し、保育費が安すぎるため、その金額について再度の見直しをするよう依頼した。

(6) 平成三年三月八日正午、原告は嬉野町に行き、被告佐賀県の関係者、被告嬉野町の農林課長、林務係長、市丸、寛らとともに現場見分を実施した。現場見分の際、原告は、初めてダムが自己所有地上にあり、また、本件林道工事が自己所有地上になされていることを知った。そして、現場見分の後、原告らは公民館において話合いをすることになった。被告ら関係者からは工事を承知してもらうよう原告に懇請したが、原告は、「それはもう太か木ば植えてかえしてもらわんば。撤去してもらわんば。」と原状復旧を主張した。結局、このときは話合いはまとまらなかった。

(7) そして、被告側は対応を検討したが、本来申請事業では買収は行わないが、今回はやむを得ないということで、本件各土地を買収する方向で交渉することにした。

(8) 同月二〇日、被告佐賀県農林事務所の関係者、江口、農林課長が原告の居住する大阪に行き、本件各土地を買収する話しを持ちかけた。そのときの被告側の提示した案は、通常、土地の買収価格は一反(約一〇アール)あたり一二、三万円程度であるところ、その倍の二五万円程度で買収に応じて欲しいという内容であった。しかし、原告は、これに応ずることはなかった。

(9) 同月末ころ、江口はこの時点で初めて原告に本件治山事業及び林道事業の詳しい経過を記載した表と林道の潰れ地丈量図(乙五)を送付した。

(10) 同年四月八日、原告は被告嬉野町に行き、嬉野町役場町長室において、被告嬉野町町長、助役、農林課長、江口らと話合いをした。そのときには、被告側は買収に応じて欲しい旨、代替地を提供してもよい旨原告に伝えた。しかし、原告はこれに応じなかった。

以後、原告は原状復旧を求め、被告との間で若干の内容証明郵便等(乙六ないし一五)のやり取りはあったものの、訴訟外の交渉で話しはまとまらず、結局、本訴提起に至った。

以上の事実が認められる。

2  検討

右(一)、(二)の事実によれば、本件林道工事や治山工事を行うに当たって、地権者が作成すべき文書に原告が関与した事実は認められず、かえって右の文書の作成や出席すべき行事には寛や今村學が関与しており、同人らが本件各工事を行うに当たって本件各土地をその用地として提供することの同意を与えていたことが認められる。

しかしながら、同人らが、その行為に先立ち、原告を代理してすることについて原告の了解を得ていたと認めるに足りる証拠はない。

そこで、原告と被告らの接触状況について認定した右(三)の事実から、本件各工事用地提供について原告が承諾ないし追認したと評価できるか否か判断する。

まず、右(三)(1)ないし(6)の事実によれば、原告は本件ダム設備や林道設備が原告の土地上に架かることを認識したのは平成三年三月八日が初めてであり、それまで、原告は、被告ら、市丸、寛から本件各工事が本件各土地に及んでいることなどについて十分な説明を受けていたとは認められない。そうすると、それ以前に原告が本件各工事を承諾するということはあり得ないものというべきである。

次に、被告らは、前記(三)(3)の事実以後は専ら補償交渉を中心として推移しており、このような事態の推移からして原告の追認があったものと認められると主張するけれども、原告が事態を正確に把握した前記(三)(6)の交渉の際には、はっきりと原状回復を求めており、また、それ以後、原告から補償について具体的な金額を要求したとも認められないのであって、専ら、原状回復を求める原告に対し、被告らの方が補償交渉の話を持ちかけているにすぎないものと考えられる。そして、その際、原告が、納得のゆく補償額を期待し、被告の補償額の提案を待つような状況があったとしても、それだけで、右各用地提供について追認があったとはいえない。

結局、これらの事実から、本件各用地提供について、原告の承諾あるいは追認があったと評価することはできないし、他に原告の承諾あるいは追認があったことを認めるに足る証拠はない。よって、被告らに本件各土地の賃借権や地上権が成立することもない。

二  争点2について

前記第二の二2、4の事実によれば、本件各工事は地元の要請に基づいて行われたいわゆる申請事業であることが認められる。

確かに、申請事業においては、事業を申請した地区において用地提供者の承諾を得た上で工事の申請をなし、地方自治体は各用地提供者の承諾の有無をいちいち確認していなかったことが認められる(証人江口幸一郎及び弁論の全趣旨)。

しかし、それは地権者の合意が得られなければ地方自治体は申請事業を行わないため、右事業の実施を欲する地元地区住民が自主的に行っているにすぎないものと考えられるのであって、地方自治体が地権者の所有地を使用するについて、地権者の承諾を不要とする法律上の根拠はない。

そうすると、本件においても、被告らが本件各工事を始めるに当たっては、本件各土地について地権者である原告の使用許諾を確認する義務が存在するというべきである。

そして、被告らが本件各工事の前に原告の承諾を確認する義務を尽くしていないことは江口の証言(同人の証人尋問調書一五二ないし一五三項)及び前記一の各認定事実により明らかである。

三  争点3について

原告は、本件林道工事及び治山工事による原告の損害額として、山林を原状に復元するために要する費用相当額を請求している。そして、そのためにはダム設備や林道設備を収去し、土地を山林用に造成し直し、右工事前と同種同等の樹木を植える必要があるとしてその費用相当額を算出しており、伐採後の山林についてその価額の減少を損害として求めるものではない旨主張する。

しかし、民法においては、不法行為に基づく損害賠償の方法としては金銭賠償を原則とし、特に法令で定めた場合または当事者間に特約がある場合を除き原状回復は認めていないと解されるし、金銭賠償の場合においても、物が滅失せしめられた場合の賠償すべき損害額は、その物の交換価値(目的物の財産的価値または目的物侵害によりその用益を妨げられたことによる逸失利益)を金銭に評価した額と解すべきである。

したがって、原告主張の右損害額の算定方法は主張自体失当であり、採用することはできない(なお、前記のとおり、原告は伐木の財産的価値相当額については損害として求めないので、これを損害額として認定することもできない)。

四  争点4について

1  証拠(乙二六・二八・二九の各1、2、二七の1ないし3、三〇、三一、証人市丸徳喜、同江口幸一郎及び同野辺田晋)によれば次の事実が認められる。

(一) 本件ダムは、佐賀県藤津郡嬉野町大字吉田の通称猪児川と呼ばれる水路に設置されているが、右水路は「山地災害危険地区調査について(昭和六〇年五月一五日付け林野治第一五七九号、林野庁長官通達。)」に基づく調査により崩壊土砂流出危険地区と決定された丘陵地区内から南西方向に山を下る形で伸びており、本件ダムから約二〇〇メートル南西のところで両岩林道線沿いの小井手川に合流する。右合流地点から西方向あるいは南西方向には集落が存在する。本件ダム付近の水路周辺には直径数十センチメートル以上の多数の不安定な岩石や土砂が堆積している。右水路は山の谷間の中央付近を通り、平常時にはほとんど水量がなく、その水路幅も正確には把握できないが、ひとたび雨が降ると増水して土石流が発生する。

(二) 本件ダムが設置される前は、右集落の住民は土石流に不安を感じ、また、それによって引き起こされる増水により、家屋は床下浸水となり、これに悩まされていた。

(三) ところが、本件ダムの設置により、右の不安や被害は解消され、地元住民はその恩恵に浴することになった。

(四) 本件ダム工事に要した建設請負代金は、三九一六万九八七〇円である。

(五) 本件林道は、前記のとおり同町東吉田から林道敷地A・Bを通って同町上吉田を結ぶものであるが、本件林道ができる前は、県道などの公道と本件林道付近の山中との往来には幅数十センチメートルの里道を利用するほかなく、それ故、車両を利用することができず材木の搬出等に不便を来していた。

(六) しかるに、本件林道が開通することによって、山中への車両の利用が可能となり、人工林の造成、下草刈、枝打、間伐などの山林保育事業が容易となって、この地区周辺の林業の振興が図られた。また、本件林道は、隣接町村との交流、観光事業にも貢献し、さらに、本件林道付近の山林を利用する生活者の利便にも寄与している。

(七) 本件林道工事全体に要した建設請負代金は一億〇一九七万円である。

(八) 林道敷地A及びB上を通らないような本件林道の代替路は建設可能であるが、右代替路を建設すると想定した場合、総工事費用が五〇〇二万七一〇〇円、工事期間が七か月を要する。

もっとも、林道敷地Bのみを避けて通る代替路を建設することを想定した場合、正確な費用額を認めるに足りる証拠はないが、その費用は比較的安価で、建設期間も短期で可能と見込まれる。

(九) 原告は本件各土地の所在地から遠隔の大阪に居住し、飲食業を営んでおり、本件各土地の所有権を主張する以外に、本件各土地を使用する具体的必要性についての主張立証はない。

以上の事実が認められる。

2  右の事実を前提として、以下、ダム敷地の明渡請求と林道敷地の明渡請求が信義則違反、権利濫用に当たるか判断する。

(一) まず、ダム敷地の明渡請求について判断するに、本件ダムは、これが設置された前記猪児川下流付近住民の災害防止に役立っており、高い公共性、社会性を有しており、もし、ダム敷地を明け渡すためにこれら公共設備を破壊すると、公共の安全に重大な障害が生ずるおそれがあることが認められる。また、これら公共設備を破壊すると、前記1(四)にみた膨大な建設費が無駄になり、社会経済的な損失も大きい。他方、原告にはダム敷地を使用する具体的必要性を認めるに足る証拠はない。

結局、ダムの収去により被告県及び付近住民が受ける甚大な不利益に比し、原告の受ける不利益はそれほどのものでないこと、原告の不利益は後記の土地使用相当損害金請求を認めることによりある程度回復されること、被告側は、原告に対し、本件ダム敷地を相当価格で買収すること及び代替地を提供することを提案していること(前記一(三)(7)(8)(10))等に照らし、原告のダム敷地の明渡請求自体は権利の濫用にあたり許されないものというべきである。

(二) 次に、林道敷地の明渡請求について判断するに、本件林道もその付近住民の生活の便益となっており、公共性、社会性を有していることは本件ダムの場合と同じである。また、林道敷地について、原告がそれを使用する具体的必要性を認めるに足る証拠がないことも本件ダムの場合と同じである。

ところで、本件林道の場合は本件ダムの場合と異なり、本件林道がなくとも、公共の安全には支障がなく、右林道は専ら公共の利便のためにのみ存在するにすぎず、これを維持する必要性の程度はダムの場合に比し低い。また、本件林道設備を利用しながら、原告所有地を通らないような代替路を建設することによっても、付近住民はかかる林道による恩恵を受けることができ、前記1(七)にみた本件林道設備に投じた建設費がすべて無駄になるということもない。

しかし、前記1(八)の事実及び林道敷地A、Bを含む各筆の土地の形状に鑑みれば、林道敷地Aを通らないような代替路を建設すると、多額の費用と相当な期間を要することが認められ、社会経済的な損失及び林道を利用できない期間の周辺住民へ与える影響は相当大きいと考えられるが、林道敷地Bのみを通らないような代替路を建設する場合については、そのため著しい損失や重大な影響があることを認めるに足りる証拠がない。

他方、本件においては、原告がその所有地上に本件林道工事がなされていることを知ったのは平成三年三月八日のことであり、そのとき既に林道工事は完成していたのであるから、原告において、右工事を中止させる機会もなかったものである。

これらの諸点を総合考慮すると、林道敷地Aについてはその明渡しを求めることは権利の濫用にあたり許されないというべきであるが、林道敷地Bについては、その明渡しを求めることは、権利の濫用または信義則違反にあたるものとは解されない。

右のとおりであるところ、当裁判所裁判長は、釈明準備命令により原告に対し、明渡を求める部分の測量図面による特定を求めたが、原告提出の林道敷地Bについての別紙図面Aによってはその明渡を求める部分が特定されているとは認めることができないし、他に林道敷地Bについてその部分を特定する資料もない。そうすると、原告の林道敷地Bについての明渡請求にかかる訴えは、結局、明渡を求める部分が不特定であるので、却下を免れない。

五  争点5について

本件各土地の使用料相当年額は、各土地の固定資産評価額に五パーセントを乗じた金額とみるのが相当である。したがって、本件各土地を含む各筆の土地の平成三年一〇月二二日現在の評価額(顕著な事実)及び弁論の全趣旨によって認められる本件各土地の面積の右各筆の全体に対する割合を考慮すると、本件各土地の使用料相当損害金額は次のとおりとなる(少数点以下は四捨五入)。

林道敷地Aについては

434.12平方メートル÷3134平方メートル×9万2227円×0.05≒639円

林道敷地Bについては

181.87平方メートル÷501平方メートル×1万3585円×0.05≒247円

ダム敷地については

339.24平方メートル÷1097平方メートル×3万0325円×0.05≒469円

六  結局、前記三で判断したところによれば、原告の被告らに対する各山林の原状復元に要する費用を求める損害賠償請求及びその遅延損害金請求(第一請求の一)はいずれも理由がなく、前記四で判断したところによれば、原告のダム設備収去及びダム敷地明渡(同三の一部)及び林道敷地Aの明渡(同二の一部)各請求も理由がないので、右各請求を棄却することとするが、前記四で判断したところによれば、原告の被告嬉野町に対する林道敷地Bの明渡請求(同二の一部)にかかる訴えは不適法であるから却下することとし、前記一、二、四、五で判断したところによれば、被告らに対する各土地使用相当損害金の請求(同二、三の各一部)については一部理由があるから、これを認容し、その余はこれを棄却する(なお、仮執行宣言は相当でないので、これを付さないこととする。)。

七  よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官木下順太郎 裁判官一木泰造 裁判官遠藤俊郎)

別紙<省略>

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